情報と金、それにたいして僕らができるすべて

結局、幸福論になろうかと思いますが、情報至上主義の現在に自分ができること、自衛というか自活というか、そういうことを少しでも明確にするためには、人に見られているという前提でアウトプットすることが大切だと思って始めました。

インザタクシー

連日更新はしているが全くとりとめのないこのブログ。

寿命は近い。だが、誰からも需要がなくとも、やることにしている訳だ。とにかく理由などないのだが。いや、理由はある。他人の目にさらされることが大切だということだし、物事を肯定的にとらえることができるようになるために、また、一種の備忘録でもある。

今日も面倒な仕事が多かった。というよりも、あんなもの仕事ではない。ただ数字を確認して貼付けたりはがしたり、モンキーワークであるが、ヒューマンエラーに対する皆の感度は恐ろしい。悪意がなければいいのではないか、というのは言い訳だということはわかっているけども、まぁ別にいいや。

とりあえず、タクシーでこれを書いている。

タクシーの運転手はおれよりも若い。20代に見える。

おれがぱちぱちマックをたたいているものだから、きっと忙しそうに仕事をしているように見えているのだろうが、実はこんな何のとりとめもないブログを書いている。そのことをこのタクシーの運ちゃんはしらんだろう。一生知る由もないし、知る必要もない。

 

もう家につく。

もうやめだ。

インザタクシー

連日更新はしているが全くとりとめのないこのブログ。

寿命は近い。だが、誰からも需要がなくとも、やることにしている訳だ。とにかく理由などないのだが。いや、理由はある。他人の目にさらされることが大切だということだし、物事を肯定的にとらえることができるようになるために、また、一種の備忘録でもある。

今日も面倒な仕事が多かった。というよりも、あんなもの仕事ではない。ただ数字を確認して貼付けたりはがしたり、モンキーワークであるが、ヒューマンエラーに対する皆の感度は恐ろしい。悪意がなければいいのではないか、というのは言い訳だということはわかっているけども、まぁ別にいいや。

とりあえず、タクシーでこれを書いている。

タクシーの運転手はおれよりも若い。20代に見える。

おれがぱちぱちマックをたたいているものだから、きっと忙しそうに仕事をしているように見えているのだろうが、実はこんな何のとりとめもないブログを書いている。そのことをこのタクシーの運ちゃんはしらんだろう。一生知る由もないし、知る必要もない。

 

もう家につく。

もうやめだ。

夕飯とおれ 

今日の食事。最近ダイエットしているので夕飯は自炊。

仕事は順調なんだか不調なんだかよくわからないが、そういうのはたいてい他人との比較によって決まるので、あまり書くことでしっくりくるようなたぐいのものではないですね。

 

 

人のことを考えない方が結果が出る仕事もあるはず。

何かいいことを書かなければいけないとか思っていたのが今までの間違いだった。

ロバート・デ・ニーロ主演の「ザ・ファン」という映画があるけれど、ある黒人メジャーリーガーのことが好きで好きでたまらないストーカーのようなやつの話なんだけど、

あるときそのメジャーリーガーが、スランプを乗り切った理由に関してこういったんだ。

「ファンのことを気にしすぎていたんだ」って。

だからだめだった。人のことなんか気にせずにバッドを振れば結果はでる、ってことだ。

昔、しもだかげき先生にも同じことを言われたことがある。

 

だから、まぁ今日もがんばろう。

 

自殺者ってなんでいつもある一定値にとどまるん?

●あぁ、ついに人生初のマック(macbookair)を購入してしまった。

 やっぱりiphoneもほかのマック製品もそうだけどプロダクトデザインがいいよね。それに、これも当たり前の話なんだろうけどさ、CD入れるところがないって、やっぱ作る側からしてもすごい決断だっただろうなぁと思う。

「これからはそういう時代じゃない!」ってジョブスなり誰かなりがいったんだろうなぁ。。すごいよ。俺だったらできないよ。そしてこのすばらしいデザインと軽さに仕上がったんだね。

●まだどんなブログにするか決めあぐねてる。情報と金と幸福と仕事に関してみんなが考えられるブログにしようと思ったりしてるけど、実際どうなるかそれはこれから手を動かしていってからしかわからないからあんまり考えないことにする。小説家のように、建築家のように、手を動かして感じたままの材料で不細工ながら構成していって、しばらく材料だけを集めてそれから無駄を排除するやり方がいいとような気がする。

●今年もニュースで自殺者が三万人を超えるって読んだけど、常にある一定定の自殺者がいるということは、どういうことなん?自殺する人がコミュニケートしているわけでもないのに、2万人にも4万人にもならずに3万人前後で推移してるってなんか不思議なんだけど。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120309-OYT1T00332.htm

http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51702485.html

そう考えると、男と女の社会の中の割合、金持ちと貧乏人の割合、飯が食える食えない、がんで死ぬ人死なない人割合とかいろいろ母体と個人の関係が浮き上がってくるだろ。そういうことを考えると『自分はどの位置にいるのか?」ということがよくわからなくなってくる。

 

 

>>>>ニュースピクックアップ>>>>>>>

 

 

このような事態、どう考える?

http://n-styles.com/main/archives/2012/03/10-040000.php

 

 

あべひろしのHPかっけぇ

http://homepage3.nifty.com/abe-hiroshi/

 

長生きしテェな

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52072007.html

 

眠れない夜のために備忘録

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3320687.html

 

ははは。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120309/plc12030922330016-n1.htm

他の目にさらされるメモ帳がわりとして始めることにした

もうこの世の多くの人が感じでいるように、(そしておそらく事実だろうが)、この世は情報至上主義社会だ。情報を知っていれば、多くのリスクを回避できて、結果多くの不幸を回避できる。

ここでいう情報とはどういったものだろう、と考えてみる。

というか、そういう思考を続けようと思い立って、新たなブログを開始してみることにした。

結局、幸福になるために、ある程度情報に頼るべきであるという考えは普遍的だ。今回の福島原発で右往左往した人間である自分としては、情報収集の重要性は非常に強く感じている。

というか、私は情報発信で金を得ているプロだ(一応)。

もともと新聞記者なんだが、雑誌社とかいろいろ渡り歩いて今は経済関連のレポート制作で金をもらっている。

しかし、例えばそういったレポートの中に含まれている情報というのは、真に経済的に自由になる、また心の底から幸福になれるための情報なのだろうか。おそらく、いや確実に、作っている側である私からすれば、それはあり得ない。昔ながらの議論になるが、経済関連の情報で金を得ている人間は、なぜ自分で投資しない?という回答に明確に答えることはできない。

多分、そこに真実などない。結果として生き延びる。

そんな情報収集術≒幸福論の帰結点をさぐるべく、とりあえずスタートした。