情報と金、それにたいして僕らができるすべて

結局、幸福論になろうかと思いますが、情報至上主義の現在に自分ができること、自衛というか自活というか、そういうことを少しでも明確にするためには、人に見られているという前提でアウトプットすることが大切だと思って始めました。

他の目にさらされるメモ帳がわりとして始めることにした

もうこの世の多くの人が感じでいるように、(そしておそらく事実だろうが)、この世は情報至上主義社会だ。情報を知っていれば、多くのリスクを回避できて、結果多くの不幸を回避できる。

ここでいう情報とはどういったものだろう、と考えてみる。

というか、そういう思考を続けようと思い立って、新たなブログを開始してみることにした。

結局、幸福になるために、ある程度情報に頼るべきであるという考えは普遍的だ。今回の福島原発で右往左往した人間である自分としては、情報収集の重要性は非常に強く感じている。

というか、私は情報発信で金を得ているプロだ(一応)。

もともと新聞記者なんだが、雑誌社とかいろいろ渡り歩いて今は経済関連のレポート制作で金をもらっている。

しかし、例えばそういったレポートの中に含まれている情報というのは、真に経済的に自由になる、また心の底から幸福になれるための情報なのだろうか。おそらく、いや確実に、作っている側である私からすれば、それはあり得ない。昔ながらの議論になるが、経済関連の情報で金を得ている人間は、なぜ自分で投資しない?という回答に明確に答えることはできない。

多分、そこに真実などない。結果として生き延びる。

そんな情報収集術≒幸福論の帰結点をさぐるべく、とりあえずスタートした。