情報と金、それにたいして僕らができるすべて

結局、幸福論になろうかと思いますが、情報至上主義の現在に自分ができること、自衛というか自活というか、そういうことを少しでも明確にするためには、人に見られているという前提でアウトプットすることが大切だと思って始めました。

大人は、できなくて当たり前、むしろ「できないことが分かってラッキー」と思えるから、子供より偉いのさ!

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 何かを発想したとする。「こういうことがやりたい」「社会にはこういうニーズがあふれているんじゃないか?」そういうことを思うことはたくさんある。

 

 で、だな。 

 100人思いついて、10人実行して、一人だけ継続できる。

 

 勇気をもって実行し、継続する。それでも、失敗することがある。

 

 大体これが怖いから実行すらできないんだが、そろそろ俺も30を超してくると、失敗も成功もほとんど同義だということが分かってくる。

 

 昔付き合ってたひどい女がいて、どうひどかったかはここで話すような事じゃないので話はしないが、そいつはむかし科学者をやってたんだよ。

 

 ラボマウスを何百匹も殺したっていってた。

 

 昼夜実験に明け暮れたその女は、案の定科学者を止めて普通の仕事についても結構できるヤツだったんだけどさ、「失敗と成功は同義だ」って言ってたよ。

 

 そもそも科学の実験に成功というのはないんだと。

 

 これをこうしたらこうなりました、という冷徹な数字があって、それを地道に積み上げていって、その積み上げ自体が「実験の結果」であって、実験に成功したというのは、「地道に数字を積み上げた」ことをいうのだ。

 

 例えば、『「青」と「赤」を足したら「紫」になるんじゃね?』という仮定の元に実験を続けるが、紫になったからと言って成功ではない。それは、ただの結果なのだ。