情報と金、それにたいして僕らができるすべて

結局、幸福論になろうかと思いますが、情報至上主義の現在に自分ができること、自衛というか自活というか、そういうことを少しでも明確にするためには、人に見られているという前提でアウトプットすることが大切だと思って始めました。

良質な情報を得るためには、「良質な覚悟≒準備」を怠らないこと

さて、そろそろ本筋の情報収集関連のことを書いていこうと思う。

 

まず、ちょっと前まで使っていたgoogle readerに関して。

◇自分とgoogle readerの付き合い

 

●すでに二年ぐらいたっているけれど、まぁ仕事の情報収集には最初は役立っていた。

●いつしか使わなくなった。

●なんで使わなくなったか、改善の方法は特に追求していない。

●現在プライベートの情報収集➡はてなブックマークや一般的ポータルサイトを使っている。

●現在仕事の情報集種➡経済レポートドットコムやその他専門サイトから情報を引っ張る

 

 なんでgooglereaderを使わなくなったかというと、整理ができなくなってきてしまったからだろう。

 今僕のIDでgoogle readerを開くと、多分400近くのサイトが出てくる。

 登録しているサイトがあまりにも多すぎて、「未整理」になっている、という状況が発生していることが問題である。

 これは情報収集における大きなポイントなのではないか。

 現在における情報収集とは、つまりきわめて個人的なもののはずである。情報市場主義社会の中で生きる上で、テレビのように、すべての人に向けて全方位的に提供する情報の価値はどんどんと低下してきている。

「欲しい情報をすぐに得られる」

 ないしは

「意図的に良質なセレンディピティを得るために、良質な情報収集先を構造的に配置しておく」

 ことが重要だと考えられる。

 セレンディピティとは簡単に言えば、「意図せずして得られるきっかけのような何か」ということになるが、それを得るためには、「良質の覚悟」というか、≒良質な準備からしか発生しないのだろう。

 全方位的な、受動的な情報に価値がなくなってきたということは、メリットももちろんあるが、こういった、「未整理だったら自分の情報収集の効率はどんどんと低下してくる」というデメリットも相当ある。 

 

 話は変わるが、なんでスタバとかタリーズって「なんとかかんとかフラペチーノ〜〜」、「なんとかかんとかフラペチーノー〜(合唱)」ってやんの?一回言えばいいと思うんだが、まぁ毒づいても仕方ないね!

 

 

 

 

カレーである

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 今日の自分点数➡65点

 今日思ったこと➡今現在決まっている仕事が、受注しただけで安心している俺がいる。気を抜かずにがんばらなければ。